美容師がヘアケアメーカーを立ち上げた理由1

大阪で約20年、美容師として活動してる

西尾隆介と申します。

今回は、美容歴20年目、美容室を経営して8年。

今年の9月に、ヘアケアメーカー、施工プロデュースを主にする会社 

labyness株式会社 を立ち上げました。

その経緯、想いの部分を書いていこう思います。

恐らくこの記事だけで終わらず、僕が美容師として歩んで来た経緯や、思ってる事書くことになるので、かなり長くなると思います。

なので、数回にわけて不定期の配信になります。

僕が美容業に携わったのは、約20年前の18歳の時でした。当時、大阪心斎橋の300坪もあるサロンのアシスタントとして、見習いで就職し、10:00出勤、12:00からサロンワーク、20:00頃に店の忙しさのピークを迎え、終わりの掃除は23:00から、0:00から2:00.3:00までがレッスンの日々が当たり前で、

疲弊しまくってました。

その上給料は、10万程。ただ、店は、めちゃくちゃに繁盛しており、スタイリスト8人が全て300万以上のプレイヤーでした。

100万からスタイリストになる

という感じが当たり前だったのですが、

どんどん時代は変わり、

今では100万超えるスタイリストが全体の2割だと言われ、お店の特色や、カリスマ店舗が多かった時代から

一気に  個  の時代になり、

業務委託や、フリーランス美容師という名前が出てきて、アシスタントを3〜5人つけてた時代とは、一気に変わりました。

集客の仕方も、雑誌や、ホットペッパー本誌、TVから、

一気にSNSが普及して、

個人発信が当たり前のように大事な時代になり、

一般誌のヘアカタ、美容の専門誌に載るというメリットが激変しました。

僕は、8年前、このSNSの切り替わりの時代にちょうど独立をし、

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独立する前から撮影などのスキルを磨いていたので、それがうまく軌道に乗り、心斎橋2店舗、寝屋川2店舗、梅田にアイラッシュサロン1店舗を出す事ができ、

求人にも求人媒体に載せる事なく、特に困る事もなく、

セミナーや、撮影、審査員などの外部の仕事をもらえ、

元々、美容師になる前に描いて像に、かなり近く事が出来たのですが、、、、

何故でしょうか、不完全燃焼というか、

正直モヤモヤしたものが、年々募るばかりでした。

僕個人としての経歴をつくる事、認知を上げる事は、楽しくて、雪だるま式に仕事は増えるのですが、モヤモヤは大きく、

会社としても、スタッフは入ってくるものの、中々定着せず、

2番手になる人も中々出てこないでいました。

そして、店舗は増えるものの、

全く、心の潤いや、達成感は全くなく、疲労感が増す中、

ガムシャラにやる!って事で脳内を麻痺させていたように思います。

【あなたの素敵を探します】

僕が最初の店をオープンさせた時の理念みたいな、思い入れを入れた言葉でした。

お客様の素敵、なりたい像を探す所、引き出す所から始める。スタッフにも同様で、スタッフのなりたい像を引き出してあげる。そこから始めよう。

という想いもあったのに、いつしかその言葉さえも忘れてました。

この部分については忘れていたのですが、今現在はこの言葉が支えになってます。

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2020年4月 コロナウィルスにより、売上は50%減り、店舗によっては70%ダウンをしました。

この時に、初めて

会社について、これからについてを大きく考えるキッカケになったと思います。

今から話す考え方は、

レギュラーサロン(スタイリストがいてアシスタントがいる普通の業務形態のサロン)も、フリーランスの美容師、業務委託の美容師も、全て一緒で、僕の考えた答えでは、

やりがいや、生きがいや、そういうマインドの部分は全て抜きにして、

労働の対価です。

カラーカットを10000円で施術して、

4000円から多くて6000円を給料に加算していく考え方です。

以前は、何人ものアシスタントとを使って300〜500万とかを上げてたスタイリストが多く、その場合は、売上をアシスタントに振り分けるという構図でしたが、今はわかりやすく、1〜2人仕事が多く、

これから先は、人口は減っていき、現役美容師はなりたい人は、減るものの、そのまま美容師として活動する人の絶対数は上がり、

1人売上で65万くらいが平均値だと言われてます。そうなると、1人のスタイリストの給料は、23〜27万くらいが平均値になります。

頑張って100万あげるスタイリストも40〜50万円が限界だと思います。

そこだけ聞くと、良くみえるかもですが、ピークがそこです。多くの美容師は、33〜40歳の間にピークを迎え下がっていきます。それは、容姿やデザインセンスが古くなるとか、そういう外側の概念では無く、体力的にも8時間の立ち仕事に耐えれないからです。週休2日が完全に敷かれても、それでも年齢が上がれば必ず20代の頃よりは、落ちてくると思います。

そうなると早めに独立か?という選択肢出てきて、大体のスタイリストが1〜2人で30代前半で独立してお店をオープンさせます。大体そのスタイリストの7割くらいは、お客様を持っているので、ある程度の収入は見込めますが、

結局の所、それも 労働 と同じなので、ピーク値が決まります。30歳からだと10年。  35歳からだと5年。

この時に、人を育てるスキル、カリキュラム、マニュアル、オペレーションが整っている。もしくは、そこにお金をかけて投資していき、

自分以外のスタッフで売上を出されて、永続的に続く環境を作れば問題ないのですが、ほとんどのお店が手探りのまま、時間を浪費させるか、そもそも、その改善点にすら気づかず、ピークを迎えます。

独立しても、下が育つ、オーナーと同じくらい、もしくはそれ以上の売上が無いと、永続的な経営は難しいと思いますが、

小さな店舗で新規も限られる中、結局下のスタッフの売上が頭打ちになり、辞めていってしまい、オーナーが頑張らないとダメな図式は、スタイリストとして雇われていた時とほぼ同じです。 労働です。

また単価自体も、これからどんどん下がる予想です。

心斎橋も20年前は14000〜16000円のカラーカットが当たり前ですが、今では6500〜7500円まで落ち込みました。これから景気が悪くなる中、これを上げれるのはせいぜい5〜7%美容師さんだと思います。

そういう事を考えていると、

ずーんと重くなります。そういう業界といえばそれまでで、うまく下を育てて、軌道に乗って展開してるサロンさんでも、

結局、新卒の採用が重要。

わかりやすくいうと20代のうちに稼げるだけ稼がせて、30代になって独立してしまったら売上たたないから、うまく回転させるために、毎年の新卒の採用が鍵になってきます。

その図式でやってきてるサロンさんがほとんどで、

うまくいって手懐けて、20代の走れるうちに走らそう。悪く言えば、馬と一緒。

もちろん全てのサロンがそうでは無いですが、

僕が見てきたサロンのほとんどがそうでした。

じゃあどうするのか???

今回長くなったので、

今日はここまで。

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